Tea Shop “THERMOPYLAE” Legend - なつかしの名店「サーモピレー」物語

 東京・お茶の水にあった紅茶専門店「サーモピレー」といえば、東京周辺の紅茶好きなら何度となく訪れたことのある「なつかしの名店」であろう。オーナーの仁田大八さんは、研究熱心で博識、正統派英国紳士のような風格、品格を持つ方として知られている。私も何回か取材でお世話になったこともあったが、1997年に「サーモピレー」は閉店してしまい、その後はお会いする機会がないまま10年以上の年月が過ぎていた。
 12月24日のクリスマスイブに東京・青山の「青山ティーファクトリー」を訪ねると、店主の清水一さんが開口一番に「昨日の仁田先生を招いてのティーパーティは良かったんだよ」という。前日は天皇誕生日の祝日であり、同店の特別イベントとして仁田さんを囲むパーティを開催したそうだ。20人限定で参加者を募集したところ、あっという間に満席。かつてサーモピレーでアルバイトした元スタッフも数人参加し、大いに盛り上がったそうだ。そんな話をしていたところに、噂話を聞きつけたがごとく、仁田さんが来店された。前日の資料についての問合せが主な用件だったが、紅茶を一杯飲まれている間に話がはずみ、仁田さんの紅茶との出会い、脱サラから50代でオープンしたサーモピレーを名店たらしめた秘訣を伺うことができた。
 仁田さんは昭和2年(1927年)12月30日、下関生まれ。代々続く武士の家系で、お祖父さんが紅茶好きだったことから、仁田さんも幼い頃から紅茶に親しんでいた。当時の食卓は箱膳で、家長の食事に妻が同席するなどはご法度。孫の仁田さんは相伴させてもらえたが、その代わり箸の上げ下げから厳しくしつけられた。この戦前の仁田家の食卓に毎日上っていたのが、なんと、リプトンの紅茶とオートミール。仁田さんは、
「当時の日本には、紅茶はリプトンしかありませんでしたから。おいしいときとおいしくないときがあったけれど、こうすればおいしいとわかってからは、そういう淹れ方をしてもらっていました。オートミールは最後までまずかったね(笑)。戦争で紅茶が入らなくなった後は、何十年も紅茶を飲むことはなかったのです」
 と語る。仁田さんは関西の旧制中学と東京・お茶の水の文化学院で学んだが、その間、資産家であった仁田家では、新円の切り替え時に9割方の預貯金の接収、富裕税としての多くの私産の収用、戦災による財産の焼失など、数々の苦労も経験した。その後、仁田さんは当時の花形産業である鉄鋼会社に入ったものの、時代の流れとともに会社の合併、事業転換が繰り返されるようになり、上司が窓際族に追いやられるような状況を見て、会社が希望退職者を募った際に応じる形で退社した。
 昭和50年代といえば、コーヒー専門店の全盛期である。幼い頃の紅茶の味と、大阪の紅茶の店「ムジカ」を訪ねて触発されたことから、学生が多く活気のある東京・お茶の水に、昭和54年(1979年)11月14日、「紅茶の店 サーモピレー」をオープンした。
 その際に仁田さんが強くアドバイスされたことは、イギリスでも茶の湯でも、お茶を点てるのは「主人」の仕事であること。また、イギリスの家庭で客人をもてなすときは、どんなに高級で有名な菓子を買ってくるより、多少見た目は悪くても心を込めて手作りするほうが喜ばれ、高く評価される。また、自分より技術のある職人を雇うと、店主が職人に頭が上がらなくなり、ひずみが生じやすい。職人を雇わずに、あるレベル以上の商品を手作りし、ブレずに提供するため、仁田さんはお姉さんの家でオープンを使わせてもらいながら、お茶菓子類の試作をくり返した。
 オープン後も、同店では決して職人は雇わずに、学生アルバイトを中心とするスタッフで、専門店として安定した品質の紅茶、手作り菓子、サンドイッチ類を提供していた。紅茶は、「来るたびに味が違うようではいけない」という考え方で、「そのときの最高の紅茶」であるより、安定した品質で大量に入手できるブランドとして「メルローズ」を選んで使用していた。ポット1杯分に使う茶葉の量は、当初は上皿天秤で正確に計量する。水の量もメスシリンダーで計り、砂時計はまず1つずつ砂が落ちるまでの時間を店内で確認してから使用する。茶葉の種類と量、湯の量、蒸らす時間が一定であれば、アルバイトスタッフの誰が淹れても同様の味の紅茶がきちんと抽出できる。お菓子を焼くときの温度は、オーブンについている温度計は信頼せずに、工業用の温度計を入れて正確に測る。また包丁は、京都の料理人が使う「有次」製を選び、サンドイッチの切り口もスパッと美しいのが特徴だった。
「サーモピレー」は、正式には昭和55年(1980年)オープンで、1989年に(有)サーモピレーとして法人化。1997年に紅茶専門店部門は廃したが、以降、仁田さんはコンサルタント業、執筆業などで引き続き活躍されていた。
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お茶の水で紅茶専門店「サーモピレー」を経営していた仁田大八さん。2009年12月24日、青山ティーファクトリーにて。

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 12月23日のティーパーティーのために仁田さんが用意された「サーモピレー」創業時のデザイン画。入口のデザインでは、「サーモピレー」の字体を変更。

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当時の仁田さんの名刺には、紋章と、変更後の「サーモピレー」の字体(なつかしい!)が入っている。

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 椅子のデザインは、背もたれの角度まで入念に設計。

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 紋章もルールにのっとってデザインした。

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 店内入口側。壁のブラケットの変更で雰囲気がガラリと変わった。

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 店内奥側。店名は、19世紀中頃に活躍した茶輸送専門の高速帆船「サーモピレー号」から名づけたもの。
 
 

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この記事へのコメント

teej
2010年01月06日 14:36
仁田さんお元気そうですね!本当に久しぶりにお顔拝見しました。もう閉店されて13年も経ったんですね!
2010年01月09日 10:22
Teejさん、コメントありがとうございます。光栄です! 私は13年以上ぶりに仁田さんにお目にかかりました。また、数本の記事の写真のサイズを小さくしてみました。多少は軽く表示されるようになったでしょうか? なかなか時間がかかる作業ですね。
プニケン
2011年04月30日 00:26
はじめまして、こんにちは。私は80年代に神保町の学校に通っておりまして、そのころサーモピレーに行ったことがありました。もうなくなってしまったお店についてふと検索してみたところ、情報を読むことができて、懐かしさとともに大変うれしかったです。ありがたいです。
2011年04月30日 17:51
プニケン様 コメントありがとうございます。サーモピレーは、いろいろな方に愛されていたお店で
すね。イギリスのロイヤルウェデングに際し、キャサリンさんの紋章についてテレビで取り上げてい
ましたが、仁田さんもかなり勉強されてサーモピレーの紋章をつくられたと、熱く語っておられたの
を思い出しました。なつかしいです。
懐古
2012年05月25日 22:26
サーモピレー懐かしいです、30年以上前にバイトしてました。今でも紅茶を飲むときに思い出します、キーモンが好きでした…。
2012年05月26日 07:19
懐古さん、コメントありがとうございます。以前にコメントをいただいたブニケンさんがサーモピレーに寄られた頃に、アルバイトをされていたのですね。名店はいつまでも、関わった人たちの思い出として存在し続けるのですね。改めて仁田さんの経営者としてのお人柄を認識させられました。

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