tea-blog

アクセスカウンタ

zoom RSS 紅茶の国スリランカで、紅茶とともに生きる人たち <1>コロンボの紅茶輸出業者たちA

<<   作成日時 : 2016/01/27 11:10   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

<1>コロンボの紅茶輸出業者たち
Aアンセレム・B・ペレラ

画像


1951年コロンボ生まれ。セント・ジョセフ・カレッジ卒。ブルックボンド社、シャウワラス社を経て、1983年に独立。自身の名前を逆に綴ったムレスナブランドを設立し、ギフト商品のパイオニアとして市場を牽引する。

 私には姉と弟がいますが、父は私が4歳のときに亡くなりました。経済的に余裕のある家庭ではなかったので、大学には進まず、ブルックボンド社の求人に応募し、1969年、18歳のときにティーテイスター研修生になりました。テイスティングを学ぶことから始まり、9年半勤務しました。

 ブルックボンド社に入った動機は、ティーテイスターはいい仕事ではないかと思ったからです。高校の頃は科学系の科目が好きで、大学で数学、生物、物理、化学などを勉強し、エンジニアになりたいという夢もありました。けれども、経済的な理由で大学に行けなかったので、まったく別の仕事に就きました。しかし、ティーテイスターもやりがいのある仕事ですので、まったく後悔はしていません。

 ティーテイスターとしての1年間の研修の後に、適性があれば正社員として採用されます。私は採用され、9年半の勤務中に、1973年にロンドンで4カ月、1974年10月からパキスタンで4カ月の海外勤務も経験しました。パキスタンでの滞在はブット政権当時で、生活環境も良く、政情も比較的安定し、周りの人たちもやさしかったので、楽しい体験でした。今は大分事情が変わってしまっているようですが。当時のパキスタンは、スリランカやアフリカ諸国、イラン、アルゼンチンなどから紅茶を輸入してパキスタン国内でブレンドし、包装して販売していました。パキスタンのブルックボンド社も当時は年間2500万ポンドの紅茶を輸入していましたから、量としても非常に大きかったです。その頃はブルックボンド社とリプトン社は別々の企業で、その後ユニリーバ社がまずリプトンを、続いてブルックボンドを買収しました。私が辞めたずっと後のことです。

 私は1978年に、シニア・ティーテイスターという役職のときにブルックボンド社を辞し、シャウワラス社にティーマネージャーとして転職しました。シャウワラス社のほうが規模は小さいのですが、地位と給料は高くなったからです。2年後にはティーディレクターに昇進し、1982年まで計3年勤めました。

 1983年に独立して自分で紅茶会社を始めました。私はずっと、消費者が最終的に手にする小箱包装の紅茶を販売したいと思っていました。当時の大手紅茶会社が扱っていたのは、ほとんどがバルク茶でした。ブランド商品を手がけるために、自分のブランドをつくりました。ムレスナというブランド名は、私の名前のアンセレムを逆から綴って名付けたものです。また、1982年に国内の事業向けにムレスナ社を設立し、輸出向けの会社はユーロ・スキャン社と名付け、1983年から輸出事業を開始しました。当初の主な輸出先がヨーロッパやスカンジナビア諸国だったからです。今もヨーロッパ、スカンジナビア向けにも輸出していますが、量としてはロシア、アメリカ、カナダ、日本など、他の地域のほうが多くなっています。

 当初は、バルク茶の輸出量のほうが小箱包装品よりずっと多かったです。そこで徐々に小箱包装品を増やすようにしてきました。2003年時点では、金額面では小箱包装品のほうが上回っています。ただ量としてはバルク茶のほうが多くなる年もあります。事業を始めた当初は、量としては75%がバルク茶、25%が小箱でしたが、数年前からは小箱が75%、バルク茶が25%になっています。

 ギフト包装品、小箱包装品など、消費者に直接販売する商品を手がけたいというのが、独立したときの基本的な考えでした。包装のデザインは、すべて私たちの創作力から生まれたものです。また、できるだけ国内で生産されている素材を使って製品にしてきました。どうしても輸入しなくてはならないものもありますが、ほとんどはスリランカ産です。スリランカには、素晴らしい包材があるからです。磁器製品もスリランカ製で非常に高品質のものがあります。日本のノリタケの関連会社のランカ・ポーセレン社を始め、いろいろな包材の製造業者と協力関係を保っています。

 当初は、小箱包装品を手がける業者は少なかったのですが、今ではほとんどの紅茶会社が作っています。当社の真似をしている会社も多いですが、それを気にしてはいません。私は小箱包装品市場の先駆けであり、今もリーダーとして牽引していると自負しています。20年間、常に新しいアイデアを出し続け、小さかった包装工場も今では大規模なものになりました。以前は、ブレンド工場と包装工場が別の場所にありましたが、今は、ブレンドも包装もひとつの工場で行ない、全体では以前の約3倍の規模になっています。当社のブレンド・包装工場は、非常に清潔で素晴らしい工場で、HACCPの認証を取得するつもりです。ISOの基準より上ですし、日本の基準の5Sも実践しています。創業時の社員数は16人でしたが、2003年には約400人を雇用しています。包装作業を担当している女性社員の中には、視覚障害者も20人ほどいます。

 また、直営の紅茶販売店も出店してきました。03年現在でスリランカ国内に16カ所あります。海外では、ロシアに90店舗、日本に3カ所、台湾に5カ所、オーストラリアに2カ所あります。海外の店舗はそれぞれの国のパートナーが経営しています。

 自分で紅茶の事業を始めて20年経ち、ビジネスも拡大してきました。紅茶の輸出先だけで52カ国に及びます。ここまで広がったのは、展示会に出展したり、手紙を出してみたり、また輸入業者が当社の直営店に来て、商品を見て「買いたい」と言ってきたり、という積み重ねです。直営店があるために、取引き先が増えましたし、直営店では自分が売りたい商品を売ることができるので、テストマーケティングが容易になるなど、いろいろな優位性があります。スーパーマーケットや他社の店舗で商品を販売してもらうためには、時間もかかるし、テスト販売もそう簡単にはできません。直営店の出店・運営コストは、それだけ売上げを上げれば回収できます。ウバ地区のバンダラウェラという町の店舗は、あまり客数は多くないですが、土地も自社で買って、そこに建物を建てたので、店舗を維持できていますし、少しずつ売上げも伸びています。ディンブラ地区のセント・クレア・ティーショップにしても、当初はあまりよくありませんでしたが、今は有名な場所になっています。コロンボ〜キャンディの幹線道路沿いにも、「ティーフォートレス(紅茶の要塞)」と呼ぶ直営店を04年始めにオープンしました。ティーフォートレスが国内では17店めになります。

 今では、紅茶以外の事業も手がけています。香料の輸入と販売、観賞魚の養殖と輸出、野菜の栽培などです。香料は、フレーバーティー用のほか、ビスケット、ジュース、ケーキなどに使う食品用の香料です。鑑賞魚は輸出用で、非常に伸びています。カナダ、アメリカ、日本、シンガポール、ロシア、ドイツ、フランス、イギリス、イタリア、オランダ、モルディブにも輸出しています。観賞魚の養殖場は、コロンボから車で1時間くらいの場所にあり、165人の従業員がいます。観賞魚は、私の昔からの趣味で、子供の頃から魚を飼ってました。今は事業として、熱帯の淡水魚を約200種、常時250万尾を飼っています。野菜は、今のところ国内のみで販売しています。ダンブラの近くに5年ほど前に土地を買い、開拓して、道をつくり、少しずつ栽培を開始しました。そこには65人の従業員がいます。観賞魚、野菜栽培、その他、箱の製造などいくつかの小さな事業も合わせると、約800人の社員を直接雇用しています。

 1992年に国営プランテーションが民営化されたとき、マスケリア・プランテーションズ社とバランゴダ・プランテーションズ社の運営会社にパートナーとして関わることになりました。しかし、その2社が他社に売却されたときに、運営からは手を引きました。マスケリア・プランテーションズ社は、当初、ブローカーのフォーブス&ウォーカー社が運営していたときに、当社も資本参加したのですが、それがセント・クレア・ティーショップをつくるきっかけとなったのです。マスケリア・プランテーションズ社はジョン・キリス社に売却され、当社はパートナーではないのですが、セント・クレア・ティーショップはマスケリア・プランテーションズ社と50%ずつ所有する共同事業として運営しています。運営自体は100%当社が行なっていますが、利益は当社とマスケリア・プランテーションズ社が半々にするという契約です。バランゴダ・プランテーションズ社については、その後スタッセン社が全株式を取得し、当社は手を引きました。

 私自身が好きな紅茶は、ヌワラエリヤ茶です。ボゴ・バレー産の紅茶も好きです。1日に20杯くらい紅茶を飲みますね。数分に1度は飲んでいますから。特にヌワラエリヤ茶をよく飲みます。軽めに淹れた紅茶で、ミルクも砂糖も入れません。緑茶もよく飲みます。特に夜は緑茶を飲むことが多く、ほぼ毎晩飲んでいます。日本の取引先がスリランカに来るときは、いつも上質の煎茶をたくさん持ってきてくれます。夜は毎晩、大きなマグカップ2杯の煎茶を飲みます。アルコールを飲むのは、パーティなどに出席したときに、ワインやスコッチウイスキーなどを1〜2杯飲む程度で、毎日は飲みません。タバコは一切吸いません。正確には、高校時代に4年間吸っていましたが、その後は全く吸っていません。タバコは体によくない、特に味覚には悪影響があると思うからです。今は自分ではまったく吸いませんし、タバコの煙のそばに行くのも嫌です。会社も工場も喫煙禁止なので、誰も吸いません。私の車の中も、自宅も禁煙です。2人の息子もまったく吸いません。

 息子は2人ともイギリスに留学し、学位を取得してきました。長男は経営科学を学んで4年半前に帰国し、次男は経営学と社会学を専攻し、去年帰ってきました。2人とも今は当社で働いています。長男は、イギリスの当社の取引先で1年働いてきました。息子たちが当社に入ったのは、彼らが紅茶ビジネスをやりたいと希望したからです。私が強制したわけではありません。息子たちがまだ高校生の頃から、テイスティングをさせてみたり、いろいろな仕事を見せたりして、興味を持たせるように仕向けはしましたが。息子たちが他社で働いたとしても何の問題もないのですが、他社に行きたいとは言いませんでした。

 毎日、とても忙しいです。朝は6時30分に起き、まず工場に行きます。特別な用事がなければ毎日8時に工場に行き、約2時間工場内で仕事をします。その後、本社に10時ごろに来ます。夜は9時、10時ごろまで働いている日が多いです。

 将来の夢は、もっと輸出先の国を増やすことです。今は52カ国に輸出していますが、今後10年で輸出先を75カ国に増やしたいと考えています。また、茶園の経営をしたいというのも実現したい目標です。大規模茶園グループの経営には今は興味はないのですが、単独の茶園ならやってみてもいいと思っています。すごく優良な茶園で、素晴らしい工場があり、最高の品質の紅茶を生産する茶園を経営することは、私の夢のひとつです。高地のヌワラエリヤかもしれませんし、あるいは低地かもしれません。いい茶園を買い、さらに改良していきたいです。新たに茶園をつくるのはとても大変ですし、相応の規模での茶の栽培も難しいので、既存の製茶工場を買い、改良していくという方法が現実的です。将来性のある工場を買い取り、スリランカで一番美しい茶園から、最高の品質の紅茶を生産する、それが私の夢です。

 スリランカの紅茶産業の将来は、高品質の紅茶の生産をもっと増やし、セイロン紅茶全体の品質水準を上げていくことができるかどうかにかかっていると私は思っています。生産量が減ったとしても、まず品質を向上させることを優先すべきです。なぜなら、紅茶の輸入業者も消費者も、品質をより重視するようになっているからです。人はおいしい紅茶を飲めば、2杯めも飲みたいと思いますが、おいしくない紅茶ならそれ以上飲む人はいないでしょう。ですから、スリランカの紅茶産業の将来は、高品質の紅茶を継続的に生産し、日々品質の向上に努めることにかかっていると思います。エベレストの頂上を目指すようなものです。


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
紅茶の国スリランカで、紅茶とともに生きる人たち <1>コロンボの紅茶輸出業者たちA tea-blog/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる