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zoom RSS 紅茶の国スリランカで、紅茶とともに生きる人たち <1>コロンボの紅茶輸出業者たちB

<<   作成日時 : 2016/01/28 07:56   >>

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<1>コロンボの紅茶輸出業者たち
Bマヘン・ダイヤナンダ

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1946年コロンボ生まれ。セント・トーマス・カレッジ卒業。18歳でイギリス系貿易会社のマックウッド社のティーテイスター研修生となり、1965年4月1日に正式に入社。イギリスのジョージ・トワイツ・サンダーソンズ社、スリランカのフォーブス&ウォーカー社といったティーブローカーと、スリランカ紅茶局を経て、家業のBP・デ・シルバ社のグループ会社として1980年にティータン社を設立。

 私はコロンボで生まれましたが、家族はゴールの出身で、祖父はスリランカ南部で紅茶の栽培を行なっていました。ひとつはモラガラというかなり広いプランテーションで、もうひとつはレカダへンナという名前でした。モナガラは、1975年の土地改革法で国家に没収されました。レカダヘンナは2000年まで家族で所有していましたが、その後売却しました。祖父が茶園を開拓したのは、1930〜1940年代頃だと思います。親戚もモナガラの近くの村に住んでいましたので、子供の頃から学校が休みの時には、プランテーションで過ごすことが多かったのです。それがきっかけで、紅茶に興味を持つようになりました。

 マウント・ラビニアのセント・トーマス・カレッジを卒業し、18歳のときに、イギリス系貿易会社のマックウッド社のティーテイスターの研修生に応募しました。私も含め3人が合格しましたが、そのときの条件は、もしティーテイスターとしての資質、つまり味覚の繊細さを持ち合わせていないと判断されたら、その日にでも辞めさせられるというものでした。ですから、雇用を保証されることなく、紅茶部門の研修生としてトレーニングを受けるというものでした。私は幸運なことに、研修を最後まで受けることができ、1965年4月1日に正式にマックウッド社に入社することができました。それから、1970年に、これも幸運だったのですが、マックウッド社からの派遣でイギリスに行き、ジョージ・トワイツ・サンダーソンズ社というティーブローカーで働かせてもらうことができました。

 1971年にマックウッド社に戻りましたが、その後、当時のコロンボの最大手のティーブローカーであるフォーブス&ウォーカー社から誘いを受け、転職して1975年まで勤めました。そのとき、スリランカ紅茶局から依頼され、フォーブス社に勤めながら、紅茶局の補助スタッフになりました。紅茶局は、私が紅茶の買い付けや、イギリスでの勤務、マックウッドでのプランテーション経営など、いろいろな経験をしてきたので、補助スタッフとして雇用したいと考えたようです。最初は6カ月という約束でしたが、その後延長されて、1年半紅茶局に行っていました。それならば完全に紅茶局に移った方がいいと思い、転職することにしました。1976年にセイロン紅茶販売促進部のアシスタントディレクターになり、1978年に紅茶局のアシスタントディレクタージェネラルに昇進しました。

 1979年の年末に、家族から「家業を手伝って欲しい」と言われました。私の家では、BP・デ・シルバ社という会社を経営しており、以前から東南アジアで、宝石類や、スイスのオメガ、ラドー、ロンジン、スウォッチなど、14社の時計の輸入販売を行なっています。本社はシンガポールにあり、支社はマレーシア、スイス、スリランカにあります。その仕事を手伝って欲しいと言われたのですが、私自身は宝石や時計にはあまり興味は持っていなかったのです。私の知識や経験は紅茶に関するものばかりだったので、最終的に家族から、グループ企業として紅茶の輸出会社を始めたらどうかと勧められました。それが、ティータン社を設立したきっかけでした。

 1980年1月1日にティータン社を設立しました。設立時には、私は紅茶に関するいろいろな分野で15年間の実務経験がありました。ティータン社には数人の仲間に入ってもらい、初代会長には紅茶局の局長を務めたドヌウィル氏に就任してもらいました。世界中の高品質茶市場をターゲットに事業を展開しようと考えたので、主要な市場はイギリス、ドイツ、シンガポール、オランダ、イタリア、日本、オーストラリアと設定し、これらの国々からビジネスを開始しました。創業2年目の1981年には、われわれは500トンの紅茶を輸出しました。それから徐々に事業が拡大していき、高品質茶市場への輸出と同時に、バルク茶だけではなく小箱包装品やギフト用商品など、セイロン茶の付加価値性の高い商品にも力を入れていきました。この2分野を創業時からの事業戦略としてきました。ギフト包装品は、スリランカ国内での販売と輸出の両方があります。2000年代初頭には、年間3500〜4000トンの紅茶を輸出量となりました。しかし輸出先は、今でも特定の市場に限っています。日本、イギリス、ドイツ、香港、シンガポール、オーストラリアなどがほとんどで、パキスタン、エジプトなど、量を重視している市場にはあまり輸出していません。また、最近はロシア、サウジアラビア向けにも輸出しています。

 当社がどのように市場を拡大してきたかというと、まずプロとしてのサービスの提供です。顧客が満足してくれるようなプロフェッショナルなサービスを提供し、特に品質基準には細心の注意を払ってきました。イギリスの認証機関よるISOの認証も取得しています。われわれは常に、自分たちの品質水準を上げるように努めてきました。プロとしてのサービスというのは、われわれは、ティーテイスティングの能力を基にビジネスを立ち上げてきたという意味です。今日では、実はティーテイスターのいない紅茶輸出会社も少なくありません。そういう会社は大量の紅茶を中東諸国などに輸出していますが、そのような輸出先では、テイスティング能力はあまり重要視されないからです。けれども当社では、社内で常に高いテイスティング能力を保つように努めてきました。当社の紅茶部門には、ティーディレクターが2人、ティーエグゼクティブが4人います。そのうち何人かは当社で育て上げてきたティーテイスターであり、何人かは別の紅茶会社に勤めていて、当社に入った人たちです。

 国内では、コロンボ市内に3店、空港に1店の直営の紅茶販売店があり、そこで小箱包装品やギフト向け商品を販売しています。販売店には外国人客も来ますが、スリランカ人がおみやげに買っていくことも多いです。国内での販売量は、量としては全体の5%未満です。高付加価値商品は全体の7〜10%で、大半はバルク茶での販売です。当社の主要な輸出先はイギリスと日本です。トワイニング社については、スリランカからの主要輸出業者です。最初は、スリランカでの2番目の取引先として1987年から輸出するようになり、1992年から1番の取引先として指名されました。日本へは、伊藤園と、ほか数社に輸出しています。

 また当社は、非常に優れた紅茶のクリーニング設備を持っています。1993年に、まず最初にシンガポールに紅茶クリーニング設備をつくり、1999年にコロンボに移しました。今も、シンガポールにも小さい包装工場があり、シンガポールの国内販売用の商品や、オフショア・トレーディング用の商品の包装を行なっています。 当社のスリランカでの倉庫と包装工場のある複合施設は、本社から車で15分ほどのオルゴダワッタにあります。倉庫は2棟あり、今3棟めの建設計画が進んでいます。

 当社での日本向けの紅茶の輸出は、1980年代初めから始まりました。日本との取引きを続けるうちに、われわれは、日本の紅茶飲料、つまりインダストリアルティー(工業紅茶)と呼ばれる製品用の原料茶を供給するようになり、その際は異質物の混入がゼロで、100%清潔な原料茶が求められるようになりました。そのために100万USドルに近い投資をし、設備を整えたのです。紅茶のブレンド用の機械はイギリス製で、クリーニング用の設備は日本製です。われわれはその2つを組み合わせ、両者の長所を合わせた最良の設備としています。

 われわれは、当社のブランド商品を国際的に販売していこうとは思っていません。なぜなら、イギリスのトワイニング社など、各国でそれぞれの紅茶ブランドを販売している紅茶会社にセイロン茶を輸出しているからです。ですから、われわれは顧客である各国の紅茶会社と敢えて競合したいとは思っていません。シンガポールでは2つのブランドで商品を販売していますが、ほとんどがシンガポール国内向けです。ティータン社の自社ブランドで販売している唯一の国はロシアです。サウジアラビアにもバルクで輸出しています。確かに自社ブランドで販売した方が利益率は高いのですが、取引先と競合したいとは思わないですし、これについてはわれわれと取引先とで合意しています。日本の商習慣と同じように、当社では取引先との友好関係を非常に大切にしており、その点では日本に近いやり方をしている会社だと思います。日本にはもう30回以上行っていますから、その辺りの事情はよくわかっています。日本の商習慣として、特に取引先へサービスの仕方や品質管理が優れていると思いますので、われわれも見習っています。別の国には別の商習慣があるのですが、当社のこういうやり方はヨーロッパの取引先でも評価されています。

 私は、幼い頃から茶園に親しんで育ってきました。祖父が経営していたゴールの近くの低地の茶園もそうですが、独立する前に紅茶会社に勤めていたときも、ヌワラエリヤやディンブラなどで休日を過ごすことがあり、私はそれがいつも楽しみでした。私は基本的に自然が好きなので、新鮮な空気、緑に輝く茶畑の風景など、茶栽培の環境がとても好きです。ですから私はいつも、紅茶産業に魅力を感じていました。

 祖父は、紅茶のほかに、ゴムと米も栽培していましたが、メインは紅茶で、収入の90%を占めていました。個人の土地所有を50エーカー以下に制限するという法律の下に、モナガラ・エステートは1975年に国営化されました。レカダヘンナは300エーカーで、祖父の子供の6人の兄弟姉妹による共同所有という形でした。私の母親もその1人だったのですが、6人がそれぞれの家庭を持つようになると、その子供たちが関与するようになりました。6人のうち2人が死亡し、その子供たちが所有権を主張し始めたので、共同所有という形での経営が難しくなっていきました。ティータン社に経営してくれという話もあったのですが、2世代にわたる多数の所有者がいる茶園の経営は困難でした。一番いい方法は、売却してそのお金を均等に分配することだと判断しました。

 私がプランターになり、マネージャーとして茶園で働いたらどうかという話もあったのです。けれども私の性格は、マネージャーとして茶園を運営していくにはデリケート過ぎると思いました。プランターとして、多数の労働者の労務管理まで関わるのは、相当にタフで気丈でなくてはできない仕事です。また、プランターは非常に孤独な生活を強いられるのです。私はプランターとしての経験はなく、最初の仕事はマックウッド社でのティーテイスターでしたから、私はこのまま、紅茶の輸出の仕事を続けていこうと思いました。

 スリランカの紅茶産業の将来は、非常に明るいと思います。そのためにも、各プランテーション経営会社が、品質について細心の注意を払っていく必要があります。スリランカは、オーソドックス製法の紅茶においては、世界のリーダー的存在だからです。低地産の紅茶は、大葉タイプのオーソドックス茶として評価されており、今はそのタイプの紅茶については他の追随を許していません。高地産のクオリティシーズン茶も、非常に個性的で、ディンブラ、ヌワラエリヤ、ウバなど、他の紅茶産地では生産できない特徴を持っています。キャンディ地区の紅茶も、中地産としてユニークな存在です。ケニルワース茶園、ドテル・オヤ茶園などは、非常に高品質の中地産茶を産出しています。

 ティータン社で扱っているのは、70%が高地産、25%が低地産、5%が中地産です。英国向けには、主にトワイニング社に輸出していますので、そこから全世界に再輸出されています。

 紅茶産業でのさまざまな問題は、ひとつひとつ解決するように努めています。私はコロンボ・ティー・トレーダーズ・アソシエーション(CTTA)の会長も務めましたが、CTTAにはさまざまな副委員会を設けており、紅茶の品質や、輸出先の各国からの要望などについて、スリランカ紅茶局とも協力しながら、課題の解決に取り組んでいます。

 私たちの目標は、世界での紅茶生産、紅茶輸出のリーダーであり続けることです。それは、量ではなく、品質面でのリーダーという意味です。量的には、世界最大の紅茶輸出国になることはできません。生産量だけを見れば、インドや中国の方がずっと多いからです。けれども、オーソドックス茶のオークションセンターとしては、世界最大の存在がコロンボにあり、1kg当たりの平均価格においても、インドやインドネシアより勝っています。CTC茶の輸出に関しては、ケニアがリーダーですが。スリランカの紅茶の特徴は、オーソドックス茶が主体であることです。

 コロンボではほぼ毎週、年間50〜51回の紅茶オークションが開かれているので、紅茶の輸出業者は年間通じて忙しいですし、他の国の輸出業者よりもずっとよく働いていると思います。スリランカの紅茶輸出業者は、世界中の紅茶輸入国に質の高いサービスを提供している通り、紅茶を熟知していると思います。



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