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zoom RSS 紅茶の国スリランカで、紅茶とともに生きる人たち <1>コロンボの紅茶輸出業者たちC

<<   作成日時 : 2016/01/29 10:42   >>

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<1>コロンボの紅茶輸出業者たち
Cディッキー・ジュリアンツ

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1946年コロンボ生まれ。セント・トーマス・カレッジ卒業後、1966年ジェイムス・フィンレイ社に入社。在職中、コロンボ・ティー・トレイダーズ・アソシエーション(CTTA)の会長を、1982年、1994〜95年、2000年の計3期務める。ジェイムス・フィンレー社では会長職まで昇進し、2006年3月末に定年退職。同年5月中旬からインプラティー社の会長に就任。

 セント・トーマス・カレッジを卒業し、1966年から紅茶業界で働いています。新聞に出ていた求人広告を見て応募したのですが、当時は自分では紅茶を飲みませんでしたし、紅茶の会社だと知らずに応募しました。その求人広告は、会社名も職種も明記されておらず、単に「社員募集」とだけ書いてあったのですが、それがジェイムス・フィンレー社という紅茶会社だったのです。最初に、入社できるかどうかわからないまま、テイスティングの研修を受けました。応募者は多かったのですが、面接や試験の結果などで採用が決まり、運良く入社できました。私の父はバス会社に勤めていましたし、兄弟の中で紅茶関係の仕事をしているのは私だけです。私もたまたま紅茶会社に入ってしまったのです。

 紅茶会社に入ってからは、四六時中紅茶を飲むようになりました。今は、個人的には1日に4〜6杯の紅茶を飲みます。外出したときにはもっと飲みます。一番好きなのはヌワラエリヤ茶です。でも一番よく飲むのはディンブラ茶です。低地産の紅茶は、カラメルのような香りがするものが多いですが、私はあまり飲みません。

 入社当初は雑用など細かな仕事を担当しながら、紅茶のテイスティングも勉強していきました。徐々に昇進し、最終的には会長になりました。紅茶の輸出の仕事はとてもおもしろかったです。世界でのお茶の歴史は5000年と言われますから、とても学ぶことが多いのです。また、学べば学ぶほど、もっと知りたいと思うようになるのです。お茶の5000年の歴史に比べたら、私の紅茶業界での経験はわずか40年です。ですから、今もまだまだ学ぶことがあります。

 私は輸出業務も、オークションに行くことも、取引き先のバイヤーと会うこともみな好きですが、一番好きなのは茶園を訪問することです。ジェイムス・フィンレー社が経営する茶園もあるので、1〜2カ月に1度は茶園を訪ねていました。茶園に行くと目の保養になり、街中の会社で働いているのとは全く別の世界ですから、気分転換になります。紅茶産業は、実際に環境保全にも役に立っているのです。お茶の木を栽培することにより、環境を守っているからです。

 CTTAの会長は3回務めました。1回目は1982年に1年間、2回目は1994年から2年間、3回目は2000年に1年間です。大変な仕事ですけれど、おもしろく、楽しかったです。ときには、CTTAの仕事がとても忙しくなることがあります。いろいろな課題、例えばマーケティングの課題や、殺虫剤の残留問題など、いろいろな改善点が出てくるからです。ある日、秘書から「CTTAの仕事ばかりではなく、会社の仕事もして下さい」と言われてしまったこともありました。でももう、CTTAの会長職は充分です。イヤだからではなく、他の人にも会長を経験する機会が与えられるべきだと考えるからです。後継者にアドバイスすることは厭いませんが、私自身が会長になることはもうありません。CTTAのほか、紅茶局やティーリサーチボードに参画していた時期もあります。

 2006年3月18日に60歳になったので、3月末にジェイムス・フィンレー社を定年退職しました。退職してからは、茶園に行く機会はずっと少なくなりました。ただ、今もジェイムス・フィンレー社の一株主です、上場企業の個人株主ですから、それほどの大株主ではありませんが。同社での勤務の延長はしませんでした。いつ企業を辞めるべきか、いつ新しいことを始めるべきかは、自分自身で感じ取らなくてはいけないと思うからです。

 ただ、3月にフィンレー社を退職してから、1カ月半ほど毎日家にいたらとても退屈してしまい、また紅茶業界で働きたいと思い始めました。運よく数社から仕事の誘いを受けたので、その中で一番条件が良かったインプラティー社に5月中旬に入りました。今は会長として働いていますが、仕事内容は、フィンレイ社時代とほぼ同じです。インプラティー社は、主に小箱包装品と、ティーバッグを輸出しています。

 この先、何年インプラティー社で働くことになるのかはわかりませんが、仕事ができるうちは続けたいです。インプラティー社は1994年の設立で、これまでの十数年で急成長してきました。ただ今後は、どういう方向を目指していったらいいかを模索しており、私や、他の経験者をスカウトして、さらに事業の拡大を目指しているのです。ジェイムス・フィンレー社は、紅茶の生産、インスタントティーの生産など、いろいろな事業を行なっていますが、インプラティー社は紅茶の包装と販売だけを行なっています。主な輸出先は、ロシアおよびCIS諸国です。ジェイムス・フィンレー社時代の仕事とは若干異なりますが、非常におもしろいです。別の仕事仲間たちと、異なる習慣の中で、異なる嗜好の紅茶を扱うからです。まだロシアには行ったことはありませんが、おそらく近いうちに行く機会があるでしょう。

 スリランカでは、1992年までは大規模なプランテーションは国営でした。国営時代は、あまり管理運営が良くなかったのですが、92年の再民営化後の15年間で、驚くほど変わりました。私が紅茶業界に入った1966年は、まだプランテーションが国営化される前でした。当時と、国営時代と、今とを比べたら、今が一番いいと思います。紅茶産業は1975年の国営化以降ずっと低迷し、1992年までは赤字産業でしたが、民営化後は良くなってきています。世界の他の紅茶生産国を見ると、小規模農家よりプランテーションのほうが生産性が高いのですが、スリランカだけが例外なのです。国営時代に改植や隙間を埋めて茶樹を植える作業が行なわれず、管理運営も悪かったため、スリランカの紅茶の生産量は年間約20万トンでした。その中で、小農家系がシェアを伸ばし、プランテーションがシェアを落としていきました。

 紅茶プランテーションは民営化されて10年以上経ちますが、国営時代の管理が悪かったために、今もまだ問題が残ってしまっています。けれども、国営時代と比べたら今は状況がかなり改善し、茶園労働者の生活水準も向上してきています。1992年に茶園を訪ねたときと比べると、同じ場所とは思えないほどです。労働者たちも、以前は不機嫌そうに見えましたが、今はニコニコしながら働いています。すべてが緑に囲まれた絵のようです。

 また、国営時代は、まず紅茶をつくってから、買い手を探していました。今は、まず買い手の好みを聞き、それに合わせて紅茶を生産しています。ですから、誰が買ってくれるのかわからずに紅茶を作っていた頃と比べると、高い価格で紅茶を販売できるようになってきているのです。大規模茶園は、国営時代は赤字でしたが、今は利益が出るようになっています。その利益が、新しい機械の購入や、茶樹の改植、労働者の住宅や健康促進に使われるようになっています。

 今は、紅茶オークションのオートメーション化のプロジェクトに関わっています。いろいろな人がそれぞれの見解をもっているので、おもしろいですよ。何人かはイーコマースがいいのではないかと言いますし、今までのままで、変えなくていいと言う人もいます。このプロジェクトは、1年以上前から始まりました。委員会の主要メンバーは10人で、ブローカー、バイヤー、生産者など、いろいろな立場の人が関わっています。基本的な売買方法は今の紅茶オークションと同じで、生産者が紅茶をオークションに出して競売を行ない、最高価格をつけた人が競り落とすのですが、どうオートメーション化できるかを模索しています。

 紅茶には、栽培・製茶工程で、品質に影響を与えるさまざまな要因があります。気候、土壌、茶樹の種類などで変わってきますから、今日つくった紅茶と明日つくる紅茶では味が違います。輸入業者の多くは、日本人も含めて、高品質茶、高価格茶を選んでいます。紅茶オークションがオートメーション化されても、世界中の誰もがオークションで紅茶を入札できるわけではありません。ただ、オークションをオートメーション化すれば、さまざまなコストを大幅に削減できます。なぜかというと、今は人手に頼っている作業が非常に多いからです。生産現場では、茶摘みや、製茶工程など人手が必要ですが、いったん紅茶がコロンボに届いた後、このシステムが稼動を始めれば、すべてオートメーションで処理できるのです。オークション前後の手続きや、事務処理も連携してできるようなシステムを考えています。ですから、人件費を相当削減することができます。紅茶のサンプルを配布してテイスティングをする部分は変わりませんが、多くの書類上の処理を機械化するシステムなのです。これはとてもいいシステムだと思います。この会社用、あっちの会社用にといちいちコピーをとるのは手間ですし、単純な人的ミスから大問題になることも起こり得るからです。オートメーション化されれば、そのような単純ミスはほとんどなくなるでしょう。それが重要なのです。また、今はコピー取りのような単純な事務仕事をしている人たちにも、より重要な仕事をしてもらうことができるようになるのです。

 われわれは着実に準備を進めています。実際、インドでは急いでシステムを変えようとして、失敗しました。数年
前にオートメーションシステムを導入して、うまくいかなかったのです。その原因は、急いで導入したため、関係者たちにきちんとシステムを説明することも、訓練も何もなかったからです。しかも、2つのシステムを共存させました。ひとつはオートメーションシステムで、もうひとつは従来の手作業です。オートメーション化がうまくいくかどうか確信がなかったので、従来の手作業も残したのです。そのため、時間を節約するどころか、余計に時間がかかるようになってしまったのです。スリランカでは、インドとはまったく別のシステムを導入しようとしています。すでにかなりの準備は進めていますから、移行するのはそれほど遠い将来ではないでしょう。私がこのプロジェクトに参加しているのは、依頼を受けたからです。私はジェイムス・フィンレー社に勤務していたので、オークションで紅茶を販売する生産者として、また競り落とす輸出業者として、両方の経験があるので、紅茶産業の両方の立場がわかるからです。

 家では、妻が紅茶を淹れてくれることもありますが、自分でも淹れます。というのも、私は紅茶の淹れ方には少々うるさいのです。湯量にしても、この量でなくてはいけない、という決まった量があります。普通の水道水を使いますが、沸騰し始めた瞬間に紅茶を淹れるのです。汲みたての水を使い、加熱して、沸騰した瞬間の熱湯で紅茶を入れます。沸かし続けてはいけません。ティーポットを使った普通の淹れ方をしますが、とても重要なのはそのタイミングで、湯が沸騰し始める瞬間を逃さないことです。茶葉はティースプーンで量ります。ときどき砂糖を入れることはありますが、ミルクは入れません。ミルクを入れると紅茶の味が損なわれるからです。ヌワラエリヤ茶やディンブラ茶は、それだけでおいしい紅茶なので、他のものを加える必要はありません。ディンブラ茶はミルクティーに向くと言われ、それは私も否定はしませんが、ヌワラエリヤ茶にはミルクは合わないと思います。また私の個人的な嗜好ですが、あまりに新鮮なヌワラエリヤ茶は好きではありません。製茶して少なくとも4〜6週間たったほうが、柔らかみが出ておいしくなります。製茶したてのヌワラエリヤ茶は、キリッとする収れん味がとても強いのです。

 紅茶を飲むと元気になります。朝起きたときと、午前中に1回、午後に1回紅茶を飲みます。会議などに出れば、またそこで紅茶を飲みます。夜は飲みません。というのは、私はカフェインには弱いからです。夜、紅茶、コーラ、コーヒーを飲むと、眠れなくなってしまいます。朝から午後の早い時間までなら大丈夫なのですが。

 私にとって紅茶とは、私の人生そのものです。紅茶があってこそ、今の自分があるのです。また、紅茶に関わる時間のすべてを楽しんでいます。



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