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zoom RSS 紅茶の国スリランカで、紅茶とともに生きる人たち <2>紅茶生産の現場からA

<<   作成日時 : 2016/01/31 20:46   >>

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<2>紅茶生産の現場から
Aラジクマール・カナパティピレイ

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1974年8月2日、キャンディの近くのナワラピティヤ生まれ。セント・トーマス・カレッジのバンダラウェラ校を卒業。プランターだった父親の影響を受け、キャンディで茶園の経営について学んだ後、1996年からプランテーション会社で働く。2001年からウバ地方ハプタレにあるダンバテンネ茶園のアシスタント・マネージャーになる。

 私の父がプランターで、茶園の共同経営者だったので、小さい頃から、よく父といっしょに茶園の中まで入っていっていました。母はキャンディ生まれで、姉と弟がいます。姉はもう結婚し、弟はまだ学校に通っています。弟はプランターではなく、ホテルで働きたいと言っています。

 父は、ウバ地方ハルダムラのニードウッドという茶園でプランターとして働き始め、それからすぐ近くにある6エーカーの小さなハルダムラ茶園を友人と共同経営していました。父は25年ほど茶園で働きましたが、今はもう引退しています。 

 もとは、英国系のギブソンズという会社がニードウッド茶園を経営しており、父がプランターとして働き始めたのはギブソンズ社の時代です。ハルダムラ茶園はニードウッド茶園のすぐ近くにあり、もとはニードウッド茶園の一部だったのです。ギブソンズ社は6つのプランテーションを経営しており、まずハルダムラ地方でコーヒーの栽培を始め、その後紅茶に転換しました。1974年に、現在のソウザ家がニードウッド茶園の所有者になり、私の父は友人とともにハルダムラ茶園の共同経営者になりました。

 私は、1993年にセント・トーマス・カレッジを卒業し、キャンディで茶園の経営について学びました。1996年7月15日にスタッセン社に入社してプランテーションで働き始めました。スタッセン社の有機栽培プロジェクトであるウバ地方のイドゥルガシンナに配属され、プランテーションの仕事を実地で覚えていきました。

 ただ、有機栽培をやっている小さな茶園だったので、1998年7月に、アイトケン・スペンス社が経営するエルピティヤ・プランテーションズ社に移り、まずヌワラエリヤの近くのダンシナネ茶園に配属されました。その後、プサラーワ地区のニューピーコック茶園に移って2年半ほど働き、2001年にハプタレ地方のダンバテンネ茶園に移りました。

 ダンバテンネ茶園は、アグラパタナ・プランテーションズ社の経営です。ダンバテンネに移ったのは、ハプタレとハルダムラは隣接するエリアであり、自分にとって小さい頃から馴染んできた場所で、この地方の風土がとても好きだからです。自分としては、このエリアの茶園で働きたいと思っていたところ、いい機会があったので、ダンバテンネ茶園に移りました。ここで働けるのは素晴らしいことだと思いますし、とても楽しいです。現在のダンバテンネ茶園のマネージャーであるヴィジ・ジョンピレイ氏は、私の父親とも面識があり、私のことは2歳のときから知っています。私も、ジョンピレイ氏は経験豊かなマネージャーだと知っていましたし、ずっと付き合いが続いていたので、ダンバテンネ茶園に欠員が出ていると知って、応募したのです。

 私は茶園内の数カ所の区域を担当しています。その担当地区の収穫量やコストなどの目標値が設定されており、それぞれの区域で収益が上がるように管理・運営するのが私の仕事です。それぞれの区域で収益が上がれば、その結果、茶園全体としても収益が上がるようになるのです。

 管理とひと口に言っても、栽培方法、実践すべき農作業、労働者の管理など、いろいろな仕事があります。それらを総合して最良の結果が出るように務めています。当茶園の管理の最高責任者は、マネージャーであるジョンピレイ氏で、われわれアシスタント・マネージャーはマネージャーを補助しながら、それぞれの担当区域の管理を任されています。また、茶畑での農作業や茶摘みの指揮監督だけではなく、製茶工場に来て製茶工程を確認することもありますし、事務所での事務的な仕事もあります。紅茶生産に関するすべての仕事に関わりながら、自分の担当をきちんとこなすように務めています。

 茶園では、マネージャーがすべての責任を負っています。それぞれのマネージャーによって経験も違いますし、やり方もいろいろです。時には、今までの方法を変えたほうがいいと思うこともあります。もっとも、最終的な目標は利益を上げていくことです。私が尊敬するマネージャーは、私のことを認めてくれる人ですね。幸い、今まで出会ったマネージャーとは、皆うまくいっていました。まずは自分のほうが勉強しなくてはいけないので、それぞれのマネージャーのやり方に従ってきました。そのようにいろいろなタイプのマネージャーの下で働くことには慣れています。

 私はプランテーションの仕事がとても好きで、楽しんで仕事をしています。プランターになったことを私自身も誇りに思っています。美しい自然に囲まれた中で生活していますし、努力をすれば、その結果が出るので、非常にやりがいがあります。茶樹の世話を一生懸命してやれば、茶樹も何かしらの違いを結果として出してくれるものです。子供を育てているようなものかもしれませんね。

 私は1日に7杯くらい紅茶を飲みます。ときどき、気分を変えたいときにはコーヒーも飲みますが、紅茶は飲み過ぎるほど飲んでいます。小学校に上がった頃から、よく紅茶を飲むようになり、プランテーションで働くようになって、もっと紅茶を飲むようになりました。

 プランテーションで働く人たちには、一定量の紅茶が支給されるようになっていて、ひと月に1〜2sの紅茶をもらえます。プランテーションにはいつも製茶したての新鮮な紅茶がありますから、外出したときなどに、街で紅茶を飲むことはありますが、販売店で茶葉を購入してくることはないです。

 毎日毎日、工場でテイスティングをすると、紅茶の味は毎日違うことがわかります。例えば、7月、8月、9月のウバのクオリティシーズンには、ウバクオリティと呼ばれる独特のフレーバーと同時に、グリーニッシュな香りも出てきます。気候の違いやいろいろな条件によって味が変わるので、新鮮な紅茶を飲むのはとてもおもしろいです。紅茶の新鮮さを保つためには、乾燥工程がしっかりしていて、きちんとした包装をすることが大事です。そうすれば、その紅茶の品質は1年くらいは保つことができます。ただ、湿気が高いところで保存すると劣化が早まります。茶葉の湿度は、乾燥工程で3%くらいにしないといけません。湿度がそれより高いと、劣化する速度が速くなります。保存方法には気をつけないといけません。プランテーションでのできたての紅茶の味わいはもちろん格別なものですが、時間が経つと紅茶の味は変化し、穏やかになってくるので、それを「後熟」と呼ぶ人もいます。

 プランテーションで働くようになってから、特に紅茶の好みが変わったということはないです。スリランカにはいろいろなタイプの紅茶があり、低地産、中地産、高地産、CTCと、それぞれ味が違います。私自身は、高地産の紅茶、特にウバ地方の紅茶が好きです。ウバのクオリティシーズンは限られていますが、もともと私はウバ地方で育ったので、地元の紅茶の味が好きなのかもしれません。

 今はまだ独身で、茶園内のバンガローと呼ぶ宿舎に住んでいます。ダンバテンネ茶園は、以前、リプトン卿が暮らした茶園で、茶畑の斜面の一番上のほうの見晴らしのいい場所に、リプトン卿が愛した「リプトンシート」が残っています。今私は、そのリプトンシートの近くのバンガローを使っています。日々の生活面は、専属のコックと、見張り番と、庭師がついているので、ほとんどのことはやってくれます。庭師は、野菜を栽培したり、花壇の手入れをしたりしてくれます。庭師は、ダンバテンネ茶園に雇用されているので、給料も茶園から支払われ、そのバンガローに住む主が変わったとしても、ずっと同じバンガローを担当します。コックは、食事の支度と身の回りの世話をしてくれます。もし私が別の茶園に移動することになり、彼が私のことを嫌いでなれば、私といっしょに移動してもいいのです。別の茶園に移れば、すべてのバンガローに専属のコックがいますが、もし今のコックが自分について来たいと望み、私も適任だといえば、いっしょに移動しても構わないのです。

 私はタミル人です。言葉は、タミル語、シンハラ語、英語を日々使います、スリランカのプランテーションで働くには、まずこの3つの言葉を覚えなくてはなりません。高地、中地のプランテーションの労働者は、ほとんどがタミル人です。ゴールなど低地の茶園の労働者はシンハラ人も多いです。マネージャーはいろいろで、シンハラ人もタミル人もいますが、茶園労働者はインディアン・タミル、マネージャーはスリランカ・タミルが多いです。

 私もいずれ結婚して、子供が生まれたら、子供の教育は大きな問題になると思います。まだ先のことですが、その問題にやがては直面することになります。

 私の実家の場合は、母は父といっしょにプランテーションに住み、私はセント・トーマス・カレッジに進んでからは学校の寄宿舎入りました。ただ、車で1時間くらいで行き来できる距離でしたから、それほど寂しくはありませんでした。もし、コロンボやキャンディの学校に進んでいたら、両親と会うのも大変だったと思います。

 プランテーションで働くということは、ある枠組みの中で生活することになるので、たくさんの日常的な業務もこなす必要があります。毎週火曜日に、このエリアのプランテーションで働いているプランターたちが、ハプタレにあるプランターズ・クラブに集まるのも決まりごとのようになっています。毎週火曜に、3時頃からクラブに集まって、話をしたり、テニスや、ビリヤード、卓球などをしたりして、ティーと呼ぶ夕食を食べて帰ってきます。ときどき夜遅くなることもあり、12時ごろまでそこで過ごすこともあります。これはプランターたちにとって楽しみのひとつですし、プランターの奥さんや子供たちも来ます。いろいろな人と会いますが、プランターのためのクラブですから、私たちは会員になっていますけれど、プランテーション関係者以外の人が来ることは稀です。クラブでみんなと話をしているから、いろいろなうわさ話も聞きますし、誰が今何をやっているかはだいたいわかります。ウバ地方には、ハプタレの他にも数カ所にプランターズ・クラブがありますが、一番活動が活発なのはハプタレです。私の今の上司であるジョンピレイ氏が、クラブの前会長を務めていました。

 今の生活パターンはというと、朝起きるのは6時から6時半くらいで、まず担当している区画の茶畑に行き、その日の仕事の指示を出します。それから、事務所でいろいろな書類に目を通し、バンガローに戻ってお茶を飲み、また茶畑に戻ります。8時半ごろに朝食を食べ、また茶畑に戻ります。忙しくて仕事が多いときは、6時半に朝食を済ませてから仕事に行きます。その方が効率がいいからです。昼食は、1時ごろだったり、何かあると4時ごろになってしまうこともあります。夕食は9時頃ですね。仕事が終わるのは夕方6時半から7時ごろで、その日に摘んだ生葉が製茶工場に届けば仕事は終わるのですが、品質のいい生葉がきちんと時間通りに工場に届くことが大切なので、それを確認しなくてはなりません。何かちょっとしたトラブルがあると、夜7時半から8時頃までかかってしまうこともあります。プランターの生活は、街場の会社での仕事のように、8時半に出勤し、午後4時に終わるということはなく、また何時に何をするときっちり決まっているわけではないのです。

 スリランカの高地では製茶作業は夜間や早朝に行なわれますので、夜9時、10時に萎凋の状態をいったん確認します。マネージャーやアシスタントには、労働時間に時間制限のようなものはないのです。ですから、朝は6時半に仕事を始めますが、夜も8時、9時、10時ごろまで働いていることもあります。すべて、そのときの茶園や工場での状況次第です。たとえば、収量の多い季節は、朝3時、4時から仕事を始め、夜9時、10時、11時ごろまで働くこともあるのです。気候やその日の生葉の萎凋の状態にもよりますが、この地方では、製茶は朝4時頃から開始します。ただ、萎凋がきちんと完了していなければ、朝4時に仕事を始めることはできません。ときどき、朝5時から製茶を開始することもあれば、あるいは朝3時から始めることあります。萎凋時間は、生葉の状態や気候によって変わります。短ければ6時間、長いときは12時間、常に温度や湿度を計って、経験的なデータを基に調整しますが、最終的には見たり触ったりして確認し、工場労働者に指示を出して、製茶開始時間までに出勤してもらうのです。
 


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