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zoom RSS 紅茶の国スリランカで、紅茶とともに生きる人たち <2>紅茶生産の現場からB

<<   作成日時 : 2016/02/01 00:02   >>

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<2>紅茶生産の現場から
Bアーナンダ・メドンザ

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1945年5月、コロンボ生まれ。1962年にセント・トーマス・カレッジを卒業後、1年半会計の仕事に携わり、1964年からプランテーション会社で働く。1976年にマグペック社を仲間とともに設立。小農家の農場管理を行なうほか、1992〜1997年はウバ地方の有名茶園を有するマルワッタバレー・プランテーションズ社の運営を担当した。

 私は、1962年にセント・トーマス・カレッジを卒業し、まず1年半は会計の仕事に就いたのですが、プランテーションに興味があったので、1964年末にフナスゲリア・グループというプランテーション会社に移りました。同社は中地産の紅茶を主としながら、クローブ、カルダモン、コショウといったスパイス類など、いろいろな作物を生産しています。フナスゲリアで仕事の基本を学んだ後、1965年中ごろに、バドゥラにある同じグループの紅茶だけのプランテーションに移り、約5年間働きました。1971年に西部高地のボガワンタラワ地区の茶園に移り、またフナスゲリアに戻った後、会社を変わりました。別の英国系の会社が経営するダートリーというエステートに移ったのですが、そのときにエステートが国営化されたのです。英国系のエステートは1974年末に国営化されました。その影響もあり、ダートリーを辞めて、1976年にマグペック社を設立しました。以来、私は当社で働いています。

 当社は、私も含め、プランテーションで働いた経験のある4〜5人の仲間で始めた会社で、小農家の運営を支援しています。スリランカでは1個人の土地所有は50エーカー以下に制限されているので、その範囲の小農家です。もっとも、4人家族なら1家族で200エーカーまで所有できます。そのような小農家を支援している会社です。紅茶、ゴム、ココナッツ、クローブ、ココア、場所によってはシナモンも生産しています。スリランカ南部、および北西部、西部、中央部にある40カ所の農家を支援しています。どこも小規模な農家なので、40カ所の合計で栽培面積は2000エーカーほどです。

 その事業を続けながら、1992年から1997年まで、ウバ地方の名園を傘下に入れているマルワッタバレー・プランテーションズ社の運営をしていました。われわれが運営していたときには、マルワッタバレー・プランテーションズ社は、非常に優良なプランテーション会社のひとつでした。ゴム園も含めると約2000haもある大きな会社です。

 スリランカでは、1970年代に国営化された大規模プランテーションのほとんどが、1992年に再び民営化されました。約400の紅茶、ゴム、ココナッツのプランテーションを22グループに分け、そのグループごとに運営会社を選んだのです。1992年の時点では、プランテーション会社の運営面のみが民営化され、1997年以降に所有権も順次民営化されました。

 1992年に、運営権を得るための入札が行なわれました。まず、運営会社として適格とされるためのさまざまな基準を満たす必要があり、その上で入札がありました。入札時には、希望するプランテーション会社を3社まで順に記入するようになっていました。それぞれのプランテーションの実績をまとめた膨大な資料があり、それをもとに検討し、どのプランテーション会社を運営したいか、第1希望から第3希望まで順番をつけて選び、入札に臨んだのです。われわれが選んだのは、1番がマルワッタバレー社、その次がワタワラ・プランテーションズ社、3番目はタラワカレ・プランテーションズ社でした。入札の結果、われわれは1番に希望したマルワッタバレー社の運営会社となったのです。

 われわれは、新規に会社を設立し、新しいスタッフも募集しなくてはなりませんでした。新会社は、マグペック・コロンボ・ランド・オペレーションズ社としました。これは、マルワッタバレー・プランテーションズ社の運営のために設立した会社です。プランテーションの運営のために、すべて新会社を設立しなくてはならなかったのです。しかもその新会社は、プランテーションの運営以外の事業をしてはならなかったのです。同時に、シニア・マネージメントチームとして8人、コロンボ本部の支援スタッフとして15〜16人、そのほか地区の事務所のスタッフも必要となり、新規に採用しました。

 マルワッタバレー社の運営は、非常にやりがいがありました。当初はもちろん、いろいろな困難がありましたが、それらを克服していき、プランテーション会社の中では、運営状態のいい会社だったと思っています。

 一番満足感を得たのは、マルワッタバレー社がよく改善されたプランテーション会社のひとつに入ったことと、当社の運営による最後の年となった1997年には、3億5000ルピーの利益を上げたことです。民営化当初の数年間は、プランテーションの復興・再生のために多くの投資や作業が必要でしたが、その後は利益が出るようになり、95年、96年、97年と黒字が続きました。また、プランテーションだけではなく、工場、その他の設備など、すべてのコンディションが格段に改善されたと私は思っています。

 最初の2年間は、ずいぶん投資もしましたし、1992年は非常にひどい干ばつの年で、紅茶の市場価格も低迷していました。1992年は、われわれがマルワッタバレー社を運営したのは後半の半年間でしたが、その後、93年、94年も赤字でした。

 運営会社となってから、まず茶樹の管理方法を改善しました。肥料の成分をすべて変え、剪定方法や、土壌の状態を改良しました。製茶工場でも、新しい機械類を導入しました。それらの改善の成果が出始めた95年以降は、利益が出るようになったのです。

 われわれがマルワッタバレー・プランテーションズ社を運営していたのは、まだ所有者は国だった期間です。しかし、1997年8月に所有権も民営化され、ワエンバ・プランテーションズ社が新しい所有会社となり、運営も行なうことになりました。

 97年8月に、ワエンバ社がマルワッタバレー・プランテーションズ社の株を取得して、新たな所有者になりました。当時のマルワッタバレー社の株価は、プランテーション会社の中では一番の高値をつけていました。そのため、何社もが名乗りを上げ、入札は強含みでした。当社は、入札しようとしていた2社から運営面の委託会社として指名されていましたが、その2社とも競り落とせなかったのです。

 マルワッタバレー社の運営を手離した後は、私は再びマグペック社の業務に専念するようになり、マルワッタバレー社の運営を担当していたマネージャーたちは他社に移りました。

 私は、紅茶は毎日必ず飲みます。ティーバッグではなく、セイロン茶を茶葉から淹れます。1日に3〜4回は飲みます。ミルクと、砂糖を少量入れるか、プレーンで飲みます。コーヒーもたまに飲みます。

 プランテーションの労働者たちは、1日6杯くらい、ミルクは入れずに、プレーンか、砂糖やジャグリ(クジャクヤシの糖蜜)を加えて紅茶を飲んでいます。

 マルワッタバレー・プランテーションズ社を運営していた頃は、ウバのクオリティシーズン茶を飲むこともありましたが、普段からよく飲むのは西部高地産です。ほとんどのウバ茶は、実はあまり私の好みではありません。ウバ・フレーバーがつくクオリティシーズンはほんの短期間ですし、その期間以外のウバ茶は西部産に近い味ですから、短期間だけ自分の嗜好を変えるというのは難しいです。


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