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zoom RSS 紅茶の国スリランカで、紅茶とともに生きる人たち <2>紅茶生産の現場からE

<<   作成日時 : 2016/02/04 12:08   >>

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<2>紅茶生産の現場から
Eナヴァラトナ・ピラピティヤ

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1944年生まれ。1963年からラトナプーラの近くのイギリス系のゴムと紅茶のプランテーションに勤務。1981年から、父親が創業したニュー・ヴィターナカンデ紅茶工場を引き継ぎ、低地産茶の優良工場としての評価を高める。

 宝石の町として知られるラトナプーラの近くにあるニュー・ヴィターナカンデ紅茶工場は、もとは私の父のP・P・H・ピラピティヤが創業しました。父は1897年にキャンディの近くで生まれ、1915年ごろから、大きなゴム園で働くようになりました。ぺープトゥワというイギリス系のゴム園で、イギリス人マネージャーの下で事務職の研修生として働き始めました。そこで20年ほど働く中で、事務職と同時に、野外での農業の仕事も覚えていきました。ゴム園のほか、同系列で隣接地にあるホールトン茶園でも働き、その中でプランテーション経営について学んでいきました。

 父が働いていたぺープトゥワ・ゴム園は、このニュー・ヴィターナカンデ紅茶工場があるデルワラ村から3マイルほどの場所にありました。デルワラ村は、田舎の素朴な小さな村で、人口も少なかったのですが、ペープトゥワで働きながら、父はデルワラ村で自分でお茶を栽培するようになりました。1940年にこの場所に家を建て、最初は小規模でしたがお茶の栽培を始め、1945年ごろにペープトゥワを辞め、小さい紅茶工場をつくって、1947年に認可を受けて製茶を始めました。しかし父は、1954年に、57歳で亡くなりました。

 私は全部で10人兄弟で、1人は幼くして亡くなりましたが、男が私のほか4人と、女4人という兄弟なのです。姉妹はみな嫁いでいたので紅茶工場には関心はなく、最初は長男が引き継いだのですが、その後、私も含めた4人の男の兄弟の共同所有という形になりました。けれども、4人の共同経営で事業がうまくいくということはまずありません。1981年に裁判を行ない、誰かが他の兄弟から所有権を買い取りなさいという判決が出たため、私が他の兄弟から買い取って単独の所有者になったのです。

 私は学校卒業後、1963年からイギリス系のプランテーションで働き始めました。ラトナプーラの近くの低地の大きなプランテーションで、ゴムと紅茶を生産していました。1981年に辞めるまで、18年間働いていました。それから、ニュー・ヴィターナカンデ紅茶工場の所有権を他の兄弟から買い取って単独のオーナーになり、以来ここで働いています。長男はすぐ近くにバンダラへナという紅茶工場を建て、そこを経営しています。

 他の兄弟から私が買い取ったニューヴィターナカンデには、13エーカーの茶畑と、工場やその他で5エーカーの土地があります。労働者の確保が非常に難しいので、これ以上茶畑を広げる計画はありません。茶の栽培は小規模生産者に任せたほうが、自社で広大な茶畑をもつより有利です。今の時代は、広い茶園を維持管理することは難しくなっています。ですから当社では、小規模生産者を支援しながら、いい生葉を生産してもらうようにしています。

 現在の年間製茶量は1500トンで、月平均では140トンです。99.9%は小規模生産者から買い入れる生葉から製茶したものです。買い入れている小規模生産者は約6000人です。茶樹を10〜20本栽培している人から、1エーカー、2エーカー、10エーカーといった規模で栽培している人まで、さまざまです。特定の小規模生産者と契約して、当社の工場にだけ生葉を売ってくれ、他の工場には売らないでくれ、と頼むのは難しいのです。当工場にしか売っていないという人もいますが、われわれは質のいい生葉しか買わないので、いい生葉が採れたときは当工場に売り、あまり品質がよくないときには他の工場に売るという生産者もいますし、この区画の茶畑から採れた生葉は当工場に、また別の区画の生葉は別の工場に売る、と決めている人もいます。6000人のうち、1000人くらいは当工場への販売を中心にしていますが、それ以外の生産者は、当工場だけでなく、他の工場にも販売しています。

 当工場では、生産者をA、B、Cの3ランクに分けて記録しています。この生産者のランクは、生葉の質と、継続して供給しているか、何年続いているか、などを考慮して決めています。そのランクによって、たとえば生産者が当工場に融資を申し込んできたときに、当工場へのこれまでの貢献によって融資するかどうかを判断します。Aランクの生産者を最も優遇し、ほぼ問題なく融資します。Bランクの生産者には若干厳しくし、Cランクの生産者には一部しか融資しないこともあります。私も1981年からここで働いていますので、それぞれの生産者のことはだいたいわかります。

 私が引き継いだ当時は、この工場で1日に加工できる生葉の量は1000kgくらいでした。2007年は1日に平均2万kgを加工しています。最初の工場は1940年から建築が始まり、製茶を始めたのは1947年からです。私が工場を引き継いでから四半世紀以上の年月の中で、工場を改修したり、拡大したりしてきたので、最初の工場の建物は今はほとんど残っていません。工場は24時間稼動しており、労働者は3交替制です。ウェサックポーヤの1日と、シンハラ暦の新年の1週間以外は、毎日稼動しています。私は、特に勤務時間を決めて働いているわけではなく、事務的な仕事も多いです。必ずというわけではありませんが、朝は6時から仕事を始めることが多いです。工場には240人の一般労働者がいて、出勤した日数により月に1度賃金を支払う日給月給制で、ほとんどの労働者が月25日出勤しています。その他に、月給制の労働者が100人います。福利厚生面での待遇はそれほど大きくは変わりません。食事も支給しています。ここに住んで働いている人たちには3食支給しています。

 私が紅茶工場を経営するようになってから、スリランカの低地産、小規模生産者による紅茶は生産量も増え、国全体の約65%を占めるようになりました。大規模茶園は、労働者不足の問題などいろいろ難しい面があるので、代わって小規模生産者の紅茶が増えています。1980年代の初めは、高地、中地の大規模茶園からの紅茶のほうが生産量が多かったです。それから低地産の紅茶の生産量が急激に増えていきました。低地産の紅茶の主な輸出先は、ロシアと中東で、特にロシアを始めとするCIS諸国向けが多いです。日本は、スリランカからは主に高地産の紅茶を輸入していますが、低地産の高品質茶も少量ですが輸入しています。特に最近は、低地産の紅茶に対する関心が高まってきているようです。

 以前は、低地産茶にはややスモーキーな香りの紅茶が多いという傾向がありました。数年前までは、輸入業者が抽出した紅茶液の味を見て選ぶということがあまりなかったからです。ブローカーも抽出液にはあまり関心を示さず、茶葉の形状、つまり黒くて長い、美しい見た目と、価格だけで選んでいました。けれども今は、味を重視するようになってきているので、ほとんどの茶業者がテイスティングをしています。そのような傾向に対応するため、相当な投資をして工場を改修し、品質の向上に努めているところも多いです。

 とはいえ、低地ではテイスティングルームのない紅茶工場もまだあり、そういう工場ではブローカーにすべてのロットをテイスティングしてもらっています。もし品質に問題があれば、ブローカーから指摘があります。スモーキーだとか、きちんと乾燥していないとか、問題点を指摘されます。低地産の工場では、最近になってようやく、工場でもきちんとテイスティングをしないていけないと認識してきたところです。

 低地産の紅茶への需要が多いので、スリランカの高地でも、低地産のようなタイプの紅茶を生産しようという動きがありますが、そもそも生葉の質が違うので難しいです。低地産の生葉は柔らかく、柔軟性があるのですが、高地産の生葉はやや硬いので、同じように製茶すると、葉がつぶれてしまうのです。低地産の生葉は、少し萎凋して水分を飛ばすと、どのようにも加工できるのですが、高地産の生葉ではそうはいきません。また、高地で低地産のような製茶方法をとっても、同じような紅茶はつくれません。色も茶色っぽく仕上がります。気候、気温が違うので、生葉の組織も違うのです。

 高地の大規模農園では生産コストが高く、赤字経営になっている茶園も多いので、できるだけ紅茶が高く売れる方法を考えているのです。そうしないと、茶園の存続が難しいからです。労働者の賃金は上がる一方ですし、さまざまな福祉施設を労働者に供給しなくてはなりません。また茶畑の生産性も落ちています。何十年も前のように茶園をていねいに管理することが難しくなってきています。また、市場価格も低地産の紅茶ほど高くはありません。低地産紅茶の市場のほうが高地産よりずっといいです。ですから、高地の大規模茶園は経営的に難しく、そのため高地でも低地産紅茶の製茶方法を真似ているのですが、気候も生葉の質も違うので、あまりうまくいっているとはいえません。

 このニュー・ヴィターナカンデ工場では、ニュー・ヴィターナカンデ、ヴィターナカンデ、デルワラ、デルワラAという、4つの商標で紅茶を出荷しています。出荷量の割合は、ニュー・ヴィターナカンデが39.04%、ヴィターナカンデが40.29%、デルワラが17.79%、デルワラAが2.88%です。2007年1月〜6月の平均価格では、ニュー・ヴィターナカンデが348.98ルピー、ヴィターナカンデが261.47ルピー、デルワラが236.34ルピー、デルワラAは208.77ルピーです。このように品質によって商標を分けておくと、輸入業者にとっても品質の目安がつきやすいのです。輸入業者もオークションサンプルが入手できないことがあるので、商標を見て品質を判断することもあります。もっとも、スリランカのすべての紅茶工場が当工場のように品質に注意して商標を使い分けているわけではありません。

 それぞれの商標に、約20のグレードがあります。ただ、エキストラ・スペシャル、スペシャルといった特別なグレードは、ニュー・ヴィターナカンデとヴィターナカンデだけです。これらの商標は15年ほど前から使い始め、徐々に今のように品質を反映させるようにしてきました。最後のデルワラAだけは新しく、2005年から使い始めた商標です。

 当工場のSFTGOPエキストラスペシャルというグレードの紅茶は、アメリカや、イギリスのヨークシャーの業者がかなりの高値で買ってくれています。エキストラスペシャルの生産量は少なく、週に150kgくらいしか生産できませんが、いい評価を受けており、安定した需要があります。特にウィズアウト・ミルクと表示している紅茶は、ミルクを加えずにプレーンで飲んで下さい。ミルクを入れるとこの紅茶の良さを楽しめないですから。

 実は、私の最初の妻は1981年に亡くなりました。ちょうどこの工場を他の兄弟から買った直後でしたが、乳がんで亡くなったのです。7〜8年後に今の妻を紹介され、結婚を申し込みました。妻はスリランカ生まれですが、そのときはアメリカで幼稚園の先生をしていました。私も今の妻と結婚したことにより、アメリカの永住権を取得したのですが、アメリカには5〜6カ月しか住まず、またスリランカに戻ってきました。妻もその後、スリランカに帰ってきたのです。永住権をとるには5年かかるのですが、妻はすでに5年以上住んでいましたし、私は彼女と結婚したので4カ月で永住権を取れたのです。
 先妻との間に2人の娘がいますが、現在の妻の永住権のおかげで2人ともアメリカに留学することができ、娘たちもアメリカの永住権を持っています。上の娘はアメリカで結婚し、そのまま住んでいますが、下の娘のバサンティはアメリカから戻ってきて、紅茶工場の仕事を手伝ってくれています。私は、自分もアメリカに住むべきかと思ったのですが、スリランカの方が好きなので、戻ってきました。アメリカには5〜6カ月いただけですが、自分には合いそうもない、私はアメリカよりスリランカの方がいい仕事ができると思ったのです。ここで製茶工場を改善したり、事業を拡大していくほうがおもしろいですから。アメリカでの生活は、私にとっては退屈でした。永住権が切れたときには更新しなかったのですが、その後、上の娘に会いに行ったり、アメリカでの紅茶の展示会に行ったりするために、5年有効で複数回入国できるビザを取りました。アメリカでも当工場の紅茶を販売してもらっていますし、娘も販売に協力しています。

 紅茶工場の経営は、大変やりがいのある仕事だと思っています。また、貧しい農家を助けるという側面もあるので、小規模茶葉生産者たちを支援し、世話をするという意味でも、意義のある事業だと思います。また、品質を向上させ、より高い価格で販売できるように取り組むことは非常におもしろいですし、また自由もあります。紅茶生産は、やりがいのあるすべての要素を含む事業だと思います。茶の栽培にもとても関心がありますし、自分に合っている仕事だと思います。今後も、この仕事を続けていきたいです。



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