ダージリンの街のシンボル的な存在が、チョウラスタという広場である。
いつも多くの人々で賑わうチョウラスタの広場。背後の丘の上には、有名な英国コロニアル風のウインダミアホテルと、マハカル寺院がある。
お祭りなのかなと思うほどの賑々しさ。
広場の周辺や、広場に続くネルーロードには、紅茶販売店も何…
ダージリンの街の中心部にあるダージリン・プランターズ・クラブは、イギリス植民地時代の1868年に、イギリス人ティープランターたちの宿泊施設および社交場として設立された。ダージリンのふもとの紅茶産地であるテライ地区やドアーズ地区のブランターや、政府関係者たちが避暑に訪れ、ダージリンの涼しい気候とともに、日常生活から解放されるひとときを楽…
ダージリン産の紅茶を運ぶとともに、避暑客などの便宜を図るために1881年に開通したダージリン・ヒマラヤ鉄道は、1999年に世界文化遺産に登録され、ダージリンの観光資源のひとつにもなっている。ふもとのニュー・ジャルパイグリ駅からダージリン駅までの約88km、高低差約2000mを結ぶ登山鉄道で、その小型で愛らしい姿から「トイ・トレイン(お…
通りがかりに見たダージリンの茶園の写真集。タルボ茶園からキャッスルトン茶園に向かう道順で、ミリク道路沿いに連なるソーレニ、フグリ、シンブリ、ガヤバリと、テライに近い広大なロングビュー、 少し山を登り始めたところのマカイバリ。続いて、ダージリンの市街地にほど近いハッピーバレー、シッキム州に向かう際に通った道沿いのロプチューの写真を紹介。…
ダージリン地区の北、東はブータン、西はネパールに接するシッキム州には、唯一、州営のテミ茶園がある。ダージリン地区に遅れること約100年、1969年から開墾が始まり、1975年に製茶工場が操業を開始した、比較的新しい茶園である。有機栽培に取り組んでおり、最近では地元テミ地区の重要な観光資源としての活用も始まっている。
シッキム…
セリンボン茶園の隣に位置し、名園として知られるサングマ茶園。経営元のジャイ・シュリー・ティー・アンド・インダストリーズ社は、ダージリンでは他にタクバール(プッタボン)、リシーハット、ノース・タクバール、バラスン、シンブリの6茶園を経営しており、さらにアッサムや東アフリカも含めると計27茶園を有する。紅茶生産会社として世界第3位の規模を…
セリンボン茶園と、その向かいのシーヨック茶園は、ともにティープロモーターズ社の経営で、バイオダイナミック農法に取り組んでいる。今回訪ねたのはセリンボン茶園だけで、シーヨックは春霞なのか降雨の前触れなのか、うっすらともやがかかる向かいの山の斜面を見ながら、「あの辺りにシーヨックの製茶工場がある」と指差された先に、ぼんやりと工場の輪郭を望…
山のふもとのシリグリとダージリンの街とを結ぶ幹線道路から、いったん谷に降りて小さな川を渡り、再び山を登って尾根を回ると、ようやく威風堂々たる製茶工場が見えてくる。工場を間近に見下ろす場所にあるマネージャーのバンガローに着くと、天空の楽園に来たのではないかという思いがする。1864年からの歴史を誇り、かつての英国人オーナー、クルイクシャ…
ダージリンを代表する名茶園キャッスルトン。紅茶のオークションにおける世界最高価格を次々に塗り替えてきた、ある意味、格別な存在といえよう。といっても、製茶工場の標高は4540フィート(1384m)で、それほど高くはなく、ふもとの街シリグリからダージリンの街を結ぶ幹線道路沿いにあり、比較的大きな街であるクルシオンに近い。隣接してマカイバリ…
2015年3月中旬に、インドのダージリン地方と、シッキム州を訪ねてきた。ファーストフラッシュの生産が始まったばかりか、直前か、という微妙な時期だったが、9年ぶりのインドは、なつかしい再会と、新鮮な驚きと、ホコリにまみれたものだった! 3日めからのお腹の不調もなんのその、日本から持参した整腸剤を祈るような気持ちで飲み続け、帰国する頃には…
Nanu Oya to Colombo by rail - ナヌ・オヤ~コロンボ電車の旅
ヌワラエリヤの最寄駅であるナヌ・オヤ駅から電車に乗り、コロンボまで、約6時間の電車の旅を体験した。この日の乗車分は、2等車の指定席が取れた。金額は600ルピー(約540円)。3等車の指定席は500ルピー(約450円)で、わずかな差額だが、1…
午後の数時間だったが、ヌワラエリヤの街歩きを楽しんだ。宿泊先のヒルクラブから、バスターミナルやマーケットのある繁華街まで、徒歩10分ほど。ヒルクラブやグランドホテル、ゴルフクラブなど、「リトル イングランド」風の一画以外は、庶民のパワーがみなぎる雑然とした街、という印象だった。
まずは、「リトル イングランド」の光景から。
…
スリランカの電車の旅はなかなか風情がある。コロンボ~キャンディ間は、以前、何回か乗ったことがあるが、今回は行きはコロンボからキャンディ経由でナワラピティヤまでの約3時間、帰りはヌワラエリヤからほど近いナヌ・オヤからコロンボまでの約6時間の電車の旅を体験した。
スリランカに到着した翌日に、まず電車の切符を買おうと、コロンボのフォ…
スリランカ中央部の高原の街ヌワラエリヤは、イギリス植民地時代に避暑地として利用されていた名残りで、ゴルフコース、競馬場、コロニアルスタイルのホテルなどがあり、“リトル イングランド”と呼ばれる独特の雰囲気をもっている。同時に、バスターミナルを中心とする庶民的な繁華街は、ドヤドヤ、ワサワサした南アジア特有の活気と喧噪に満ちている。
…
スリランカのワタワラ・プランテーションズ社に属するケニルワース茶園には、企業の社会貢献活動の一環として、障害者向けの職業訓練校があると聞き、訪ねてみることにした。
いったんケニルワースの製茶工場に行って、赴任したばかりというマネージャーに会い、アシスタントマネージャーがバイクで先導して案内してくれることになった。工場から幹線道…
スリランカ・ヌワラエリヤの紅茶工場の代表格でもあるピドロ(Pedro)紅茶工場を訪ねた。マハガストッテ(Mahagastotte)、ラバーズリープ(Lovers Leap) という名前で出荷され、オークションの取引価格でも常に上位に入っている。
ヌワラエリヤの街からほど近い場所にあるピドロ紅茶工場。以前は、街の中心部から畑作…
スリランカの古都キャンディから、高原の街ヌワラエリヤに向かう幹線道路のA5号線をうねうねと登って行き、ランボダ滝を越えると間もなく、イエローグリーンのカーペットのような茶畑の中に、突如「MACKWOODS(マックウッズ)」の文字が現われる。「HOLLYWOOD(ハリウッド)か!」とでも言ってもらいたがっているような立派な看板で、ここが…
スリランカでイギリス植民地時代に開拓された大規模茶園には、元々は主に南インドから連れて来られた労働者たちが住むラインと呼ばれる長屋がある。大量の移民労働者がとりあえず住める場所として、人が生活するためにまさに最低限の空間が、一世紀以上に渡ってあてがわれてきた。近年は住居改善プロジェクトも少しずつだが進行しており、茶畑に囲まれた山の斜面…
エボニー・スプリングスの庭には、マスコットである茶摘み婦人のレッチュミ像がたたずんでいる。レッチュミはタミル人女性に多い名前だが、このレッチュミ像は一時の混乱期を経て、エボニー・スプリングスという安堵の地にようやく落ち着いたという経緯がある。
エボニー・スプリングスのマスコット、茶摘み婦人のレッチュミ像。
もともとこ…
エボニー・スプリングスでは、栽培しているTRI2043号やノーウッド・クローンの生葉から、敷地内の小さな製茶工場で手作業により特殊なお茶を製造している。TRI2043号独特の、銀色に輝く大きな芯芽だけを乾燥させた「シルバーチップ」、「ゴールドチップ」や、芯芽を糸で束ねて球形にし、抽出するとウニのような形に開く「ティーウーチン(tea …